ITベンチャーに参画するなど異色の経歴を持つ住職・飛鷹全法氏が、「ゆるスポーツ協会」などスポーツ・福祉領域で同時多発的にビジネスプロデュースを手掛ける澤田智洋氏を迎える第2回。自分の弱みを見つけて磨く、自分の中の孤独な時間を大切にする、といったユニークだが核心的なキャリアの築き方について語り合います。実は以前から旧知の仲という2人の、息の合った対談をお楽しみください。
飛鷹 時間をどう使うかという話は、テクニカルのことだけではありません。時間はみんなに平等とよく言われるけれども、実は内的経験としての時間は全く千差万別で、時間の使い方はこれまでの生き方や内面性とどうしても離せない。よって、まず1つ目の質問は、なぜ「ゆるスポーツ」をやろうと思ったのか教えていただけますか?
澤田 私が足が遅かった、体育が嫌いだったというのと、息子が視覚障害を持っていて、親子で公園に行ってもやれるスポーツコンテンツが少ないということがありました。ボーッとレジャーシートの上に座るだけ。それに対して、私たちがおかしいのではなくて、社会の方がおかしいのではないかと、逆ギレしたのがきっかけです。
飛鷹 でもこれまでは、例えばそういうふうに子どもがある意味、宿命付けられてしまったら、なかなか社会のほうを変えようという発想になりにくかったと思います。しかし、それを変えていけるというか、逆切れできたというのは何が理由だとお考えですか?
澤田 まず私の年齢がありました。息子の障害が発覚したとき私は32歳。広告代理店でのコピーライターとプロデューサーとしてのキャリアを約10年積んでいた。大企業のマーケティングもやってきたし、成功体験のようなものも得ていたので、社会人としてのある種の自信が付いていました。もう一つの理由は、この国は経済的にも政治的にもあらゆる意味でバブル以降ブレークスルーしておらず、社会の流れが止まっている。だとすれば、やはり変化を起こすべきではないかと考えました。例えるなら、ビーカーの中にいろいろなものが沈殿している状態が多分25年ぐらい続いていて、そろそろマドラーでかき混ぜてもいいのではないかと。
飛鷹 人生80年と言うと、客観的時間として皆同じかのように思いますが、その中で経験される時間は、本当にその人その人で全く違うのではないでしょうか。実際、高野山のお坊さんになるためには外界から100日間、遮断されて修業しなくてはいけないのですが、まさにドラゴンボールの「精神と時の部屋」といった感じです。そこでの1日が外界の1年とまでは言いませんが、100日して出てきたら、戦争から生きて帰ったぐらいの感じで歓待されると思ったら、もう出てきたの、という感じで、時間の流れが全然違います。クラウドで全て無駄なことはできなくなって、余剰の時間ができても、それをどう使うか、使い得るかどうかというのは、やはり各自にどうしても委ねられます。生きるということに芯を持たないと、仮に余剰の時間ができたところであまり意味がないかもしれないと思っています。
澤田 加えて、自分の中の時計ときちんと向き合うことが大事ですね。浦島太郎が竜宮城で遊んでおじいちゃんになってしまうのは、やはり楽しい時間は“タイムフライズ”だから、光陰矢の如しであっという間に過ぎるわけです。それは、仕事にも言えます。広告代理店の仕事は楽しいので、楽しいと思ってやっていると、気がついたら定年を迎えてしまいます。当然、そういった喜びの時間も人生にも必要です。ただ、逆に考えると、スローダウンする時間も必要だから、それは苦難ときちんと向き合う。そうすると1日がすごく長く感じるのですが、それは逆に有効活用できるというか、1日をストレッチできるので、そのときのほうがむしろ生産性が上がります。
飛鷹 そういう時間を持つために、自分の日々の仕事の中で、心掛けてやっていることはありますか?
澤田 自分の日常に対して視力を良くしておくということです。茫洋と生きていると、日常がボワンとして、超近視眼的になる。一方で、“心のレーシック”をして日常を超クリアに見ていると、これは今、自分は向いていないとか、時代に即しているとか、世界と自分の関係性などがすごく見えてきます。また、私はいつも頭の後ろのカメラから自分を見るようにしています。そうすると、現状の見晴らしもいいし、そのカメラを30年後に飛ばすことで未来から逆算した今の自分も見えるわけです。
飛鷹 その鳥瞰的な視野というものは、ある意味、代理店の仕事で培われたところもありますか?それとも別から気付いたのでしょうか?
澤田 広告代理店というより、色々な方とお会いして相対的に自分とは何者かという実態が見え、自分や世界を見る視力が上がっていったのだと思います。
飛鷹 言葉としてダイバーシティといいますが、いろいろな人に実際に会うことでしか、そもそもそのダイバーシティのリアリティーは感じ得ようがないのです。だから、非常に固定的な人間関係だけでいるより、意識的に違う人との出会いを避けないというのは、ひょっとしたら大事なことかもしれません。
澤田 あと、自分と向き合うためには特殊な筋肉が必要で、それがないとやはり向き合えません。だから、最初は他者の力を借りてもいいと思います。例えば、お坊さんとか。
飛鷹 いきなり自分ひとりで向き合うのは簡単にはできない。人生をすごく苦しんできた人にとっては、目を背けたいこともあります。でも、他者がいることで、それは可能になるかもしれない。頭を剃って袈裟を掛け、ある種の非人間性をまとうお坊さんの存在価値は、ひょっとしたらそういうところにあるかもしれませんね。
澤田 私は「自分の弱みフェチ」です。自分の弱みが見つかるとヨダレがたれまくり状態なのです(笑)そこに自分の伸びしろがあると思うので。
飛鷹 でもそれは、よく考えると合理的なことですね。苦手だからこそ、イノベーションを起こさなければいけない。
澤田 実はコピーライターに向いてない、帰国子女で日本語が苦手だと思ったから代理店でコピーライターをしているし、スポーツに向いていないと思ったからゆるスポーツを始めているし、息子が目が見えないと分かってから視覚障害者のロボットを開発しています。私は、強みはかぶると思っているのですが、弱みはすごくダイバース。弱みにその人らしさが宿っているということなので、実はそこを見つめたほうが、何か安心するというか、自分の輪郭がくっきり見えてきます。
飛鷹 それは素晴らしい考え方ですね。どちらかというと強みばかりフォーカスされますが、今の話で言うと、強みだけに戦わすと、結局、人間がハッピーにならない可能性が多くなりますね。強みで小競り合いするよりも、各人の弱みにフォーカスしたほうが、意外と調和できるということでしょうか?
澤田 弱さありきだと、まずみんなが力を貸してくれます。たまに、小学校に行って、総合学習の時間で授業させていただくのですが、あえて「弱みを磨きましょう」という話をします。例えば、社交性の高い優等生タイプの子がいたとして、多分、このままいくと大企業のバリバリのスーパー営業マン等になるかもしれないと。でも、逆に苦手なものは何ですか、といったことをあえて聞いてみて、「ニンジンが食べられません」と答えたら、「じゃ、誰でも食べられるニンジンを将来品種改良してみない?」と。大企業のバリバリのスーパー営業マンと、誰でもが食べられるニンジンを品種改良する大人とどっちがいい?と聞いてみるのです。「僕は営業マンかな」と言っていましたが(笑)
飛鷹 そういう澤田さんの発想はどこから来るのでしょう。むしろ弱さに優しいまなざしを注ぐといったことは、どこからそういう発想が生まれたのでしょうか?
澤田 多分、私が弱いからです。帰国子女ですが、別に海外ですごくうまくいっていたわけでもないし、日本に帰ってきたら帰国子女だし、ということでどこに居ても自分はマイノリティーという意識がありました。
飛鷹 要は、自分で自分を救済するところからしか立ち上がれないという初期設定があったということですね。客観的な状況を誰かが設定するにしても、人に教育してもらうのではなくて、最終的に自分が自己を救済していくというのがあると、その自己を救済するもう一人の弱い自己を見つめる時間がセットで必要になるから、そういう時間を持とうよという話ですね。ここばかり見て、自分がどうしたらいいか、周りのノウハウを見るのではなくて、最大のノウハウは自分の中にしかなくて、それをどう救済していくかというために学ぶ。そういう話がキャリア論につながりますね。
澤田 生きるというのは、色々と貢献していくことだと自分の中で勝手に解釈していています。20代の頃は貢献ポートフォリオ的に“会社貢献”の比率が大きかったです。修業期間なので、それはみんな結構そうかもしれません。でも、会社貢献だけしていても“自分貢献”が薄れてしまうということで、自分と向き合い始めたらスキルが身に付き、結果的に“社会貢献”の比率も上がりました。実は、そのポートフォリオは自分の中で日々グラフ化をしています。いかんいかん最近会社貢献が多すぎる、とか。逆に、社会が傷ついているから一気に100%社会貢献に目を向けよう、といったように。でも、この3、4年で一番大事なのは、間違いなく“家族貢献”です。息子が大好きで、週に2回から3回はお風呂に一緒に入りますね。
普段忙しいので、取材の機会はすごく大事。だから、取材を人生の句読点と位置付け、深く自分の深層心理にも踏み込んで、人生に本当に1回、点・丸を打つ機会というふうに捉えている。
話が分かりあえない人同士をつなぐ翻訳者、通者的な立場の「縁人(えんじん)」は大切。なぜなら、その媒介者を通じて、今まで交わらなかった人たちが同じ言語で通じ合えると、情報交流が促進され時短になるから。媒介者がいないと分かり合うのに何年もかかり、時間がもったいない。多様な出会いをつくることで、生産性を戦略的に高め、最終的に人生の密度を増やす。
キャリアを考える上で重要なのは、どういう働き方をするかというワークコンセプトや、どういう時間の使い方をするかというタイムコンセプトなど、自分のライフコンセプトについてきちんと考える時間を持ったほうがいい。それが1個決まると、よし、このコンセプトで1度生きてみよう、このコンセプトと時間を過ごしてみよう、働いてみよう、といった感じに、人生の見通しが良くなる。
自分の中の強みと弱みが少しぼやけるときは、人と会う機会を減らして、自分と向き合う時間を作る。そして読書を通じて時代の変化や変わらない本質を感じる。そこから、自分の強みはこういうふうにアップデートできるのではないか、もっとこういう人に会ったほうがいいのではないか、こういう仕事したほうがいいのではないかと考える。逆に、弱みだと思っていたものが、テクノロジーが救済してくれていて、別に苦でも何でもなくなる。それでは、私の中の新規性の高い弱みって何だろうと考える。
自分の弱みを見つめ直すときに本をたくさん読むが、自分の過去の常識や尺度は当てにしないようにして本を選ぶ。当てにすると、過去の自分の延長しか生まれない。同時に、本はそれぞれ大変な作業を経てできているから、それなりにそれぞれ価値があるという“本の性善説”に立って読むといい。疑ってかかると吸収できることが少ない。
映画『ダークナイト・ライジング』の「伝説が、壮絶に、終わる。」等のコピーを手掛けながら、多岐に渡るビジネスをプロデュースしている。世界ゆるスポーツ協会代表。「障害攻略課」トータルプロデューサー。義足女性のファッションショー「切断ヴィーナスショー」プロデューサー。お爺ちゃんアイドルグループ「爺-POP」の作詞作曲含めたプロデューサー。著書に『ダメ社員でもいいじゃない。』(いろは出版)
1972年生 東京出身
東京大学法学部卒。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程中退。
専門は比較日本文化論、南方熊楠研究。大学院在学中より、ITベンチャーの立ち上げに参画、ソフトウェアの開発に携わる。
その後、株式会社ジャパンスタイルを設立、国際交流基金等の事業で、中央アジア・中東・カナダ等で津軽三味線や沖縄音楽を始めとする伝統音楽の舞台制作を行う。
2007年より経済産業省主催の海外富裕層誘客事業(ラグジュアリートラベル)の検討委員に就任。
現在、高野山高祖院住職、高野山別格本山三宝院副住職、地域ブランディング協会理事。