「未来自分会議」第2回のゲストには、ゆるスポーツ協会の澤田智洋氏をお迎えします。
時間をどう使うかという話は、テクニカルなことだけではありません。時間はみんなに平等とよく言われるけれども、実は内的経験としての時間は全く千差万別で、時間の使い方はこれまでの生き方や内面性とどうしても切り離せません。
インタビューに続きセッションも飛鷹全法氏をモデレーターに迎え、澤田氏の「時間の使い方」、「自分との向き合い方」、「逆転の発想法」について、より深く紐解いていきます。
そして、参加された皆さんが、自分の〈強み/弱み〉を社会にどう表現できるのか等、自分事として考えることを通じて、様々な気付きを得ていただくことを目指します。
セッションの最後には、皆さんが得た気付きをシェアすることにより、より多様な集合知を創りたいと考えています。
※「未来自分会議<キャリア×時間>」シリーズは、飛鷹全法氏のモデレートのもと全6回を予定しています。
2017年9月14日(木)19時~20時30分
5,000円
30名
※応募多数の場合は、申込フォームにご記入の「インタビューへの感想やコメント」により選考させて頂きます。
※ご参加の可否は、ご登録のメールアドレスへお知らせします。
アカデミーヒルズ
アカデミーヒルズ(六本木ヒルズ森タワー49階)
森ビル株式会社 アカデミーヒルズ
お問合せフォーム >
映画『ダークナイト・ライジング』の「伝説が、壮絶に、終わる。」等のコピーを手掛けながら、多岐に渡るビジネスをプロデュースしている。世界ゆるスポーツ協会代表。日本バブルサッカー協会理事長。義足女性のファッションショー「切断ヴィーナスショー」プロデューサー。視覚障がい者用のロボットを開発する「MAGIC STICK PROJECT」プロデューサー。日本ブラインドサッカー協会のコミュケーションプランナー。R25でマンガ「キメゾー」連載中。口説き文句研究家。著書に『ダメ社員でもいいじゃない。』(いろは出版)
弱みを見つめると自分の輪郭が見えてくる
1972年生 東京出身
東京大学法学部卒。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程中退。
専門は比較日本文化論、南方熊楠研究。大学院在学中より、ITベンチャーの立ち上げに参画、ソフトウェアの開発に携わる。
その後、株式会社ジャパンスタイルを設立、国際交流基金等の事業で、中央アジア・中東・カナダ等で津軽三味線や沖縄音楽を始めとする伝統音楽の舞台制作を行う。
2007年より経済産業省主催の海外富裕層誘客事業(ラグジュアリートラベル)の検討委員に就任。
現在、高野山高祖院住職、高野山別格本山三宝院副住職、地域ブランディング協会理事。
あらゆる業種が情報産業化する社会に棲む私たちは、気がつけば携帯でSNSのタイムラインを眺め、新しい情報をキャッチアップしています。それはあたかも、お腹が空いていないのに、食べ放題のバイキングのテーブルについて、料理一つ一つをゆっくり味わうことなく、惰性で口に物を運んでいるようなもの。ネットワークに常時接続された私たちは、情報を受動的に摂取することが日常化し、情報感度の満腹中枢が恒常的に麻痺してしまっているとは言えないでしょうか。逆説的ですが、その意味で、情報化社会というのは、情報感度が極めて鈍い社会なのかも知れません。しかも、私たちはタイムラインを眺めながら、手から砂がこぼれ落ちるように各自の時間を紛失していることに気づかずにいます。人生の時間は有限であるのに。
一方、自分の好きなことに集中していて、時間を忘れると言う経験は誰しも持っているはずです。世界から遮断された内的時間と客観的な時間にはどうやら違いがあるということを私たちは経験的に知っているのです。情報に振り回されることなく、主体的に自身の生を生きるために必要なのは、情報から距離を置いて立ち止まることなのではないか。いわば情報断食によって自身の内的時間をいかに取り戻すか、という問題意識とマインドフルネスや瞑想の世界的な流行は無縁ではないと思われます。
このセッションで私たちは、「情報と時間」について思考を巡らせてみたいと思います。人生には限りがある、ということは死すべき人間の避けられない宿命ですが、だからこそいかに生きるかということが問題となるのです。いわば自分の人生の時間をデザインすること。それは取りも直さず、内的時間をいかにして自身のものとして手繰り寄せるかと言うことに他なりません。私たちが創造性と呼ぶものの秘密も、きっとその内的時間のうちにあるのではないかと予感しています。
毎回のセッションでは、各界のフロントランナーの方々をお招きしてお話を伺うとともに、ご参加いただいた皆さんとの対話の場を設けたいと考えています。皆さんの考えや意見を積極的にシェアしていただき、「気付きの場」が成立することを期待しています。世界に対して傍観者ではなく、当事者であること。自身の内的時間を大切にすることは、世界への共感に開かれることにつながるのではないでしょうか。