INTERVIEW

小さな出会いを大事にすることが、大きな決断を軽やかなものにする。

INTERVIEWEE
田根剛
建築家
INTERVIEWER
飛鷹全法
高野山高祖院住職

INTRODUCTION

2018年度「未来自分会議」の最終回となる本インタビューでは、パリ在住の建築家・田根剛氏を迎えます。弱冠26歳という異例の若さでエストニア国立博物館の建築コンペを勝ち獲り、世界を舞台に活躍する新進気鋭の建築家である田根氏。彼の仕事哲学はどのようにして形成されたのか? 時代を超越した建築を造りたいと語る彼にとって、時間とは何か? 東大出身の異色の僧侶・飛鷹全法氏がその秘密に迫ります。

インタビューは、田根剛さんが門扉やサロンをデザインされた「京町屋ホテル 四季十楽」の客室で行いました。

01
CHAPTER
建築は過去の記憶、累積した時間、歴史とつながっている

飛鷹 本日お聞きしたい話のテーマは「時間とキャリア」です。田根さんは建築家として多くの作品を手掛けていますが、建築に対して「時間」や「記憶」といったものを大きな要素とお考えになっているとお聞きしました。ご自身が作品に込められた想いや時間に対してどのように向き合っているかといったお話を伺えればと思うのですが、まずは建築という仕事についてお伺いしてもよろしいですか?

田根 はい。僕が建築を考えるときに大事にしているのは、「時代が変わっても残るような建築」という大きな視点を持つことです。京都などもそうですが、世代を超えて残り続けている建築物は、人類にとって大事なものだからこそ残されていると思うんです。自分の作品もそういう時代を超えた貴重な財産、建築の凄みみたいなものに達したらいいなと思っています。

飛鷹 人類社会にとっての建築、という観点なのですね。西洋の建築や芸術では、自意識や自我というものと社会や自然といったものの対峙の中において、作品を通じて自己表現をしていく姿勢が色濃いような気がするんですが、田根さんの場合はご自身の作品が自己表現である感覚はありますか?

田根 建築を通じて自己表現をする、そういう感覚はほとんどありませんね。自分の考えを建築に反映させたい、自分自身の興味を自分の内面に問い詰めたいというより、世界にこんなに面白いものがいっぱいあるのだから、それを学びながら創作をしていきたいという感覚です。自分のやりたいことを実現したから成功というのではなく、やはり時代を乗り越える建築を造りたいんです。自分自身にはあまり興味がありませんね(笑)

飛鷹 なるほど。必ずしも自分自身を表現したいわけではないっていうのは面白いですね。ご自身の内的なものへの関心よりも世界への関心のほうが強いっていうことですね。では海外へ建築を実際に見に行かれることも多かったですか?

田根 たくさん行きました。初めての旅は20歳でヨーロッパへ行ったとき。スペイン、イタリア、フランスを周って、まったく違う世界の建築を見て、歴史の重厚さや石造りの建築に感動しましたね。建築は実際に見に行かなければわからないということがよくわかりました。

飛鷹 やはり建築とはそういうものですか。

田根 そうですね。ビジュアル的なものは図面やメディアを通してわかるんですけど、建築は場所と深いつながりを持っているので、写真や映像には映らない土地の力と建築がどうつながっているのかは、現地へ行って周りの環境を感じ取らなければなりません。単体で成り立つ建築はありえないので、建築物が周囲の環境や歴史にどう向き合っているか、もしくは全く無視しているかというのが行ってみると理解できるんです。その土地の過去の記憶、累積した時間、歴史のようなものと建築は切り離せないものですから。

02
CHAPTER
サッカーで培った「動きながら考える」感覚で偶然性にあふれる人生を乗りこなす

飛鷹 田根さんのプロフィールを拝見したんですが、もともとは建築家ではなくサッカー選手を目指していたそうですね。

田根 はい。大学に入るまではプロのユースクラブで真剣にプロサッカー選手を目指していました。それこそワールドカップ日本代表を夢に見て取り組んでいましたね。高校生のころからJリーグに出ているチームメイトもいて、すごいレベルの高い環境でサッカーをやらせてもらっていました。

飛鷹 そんな田根さんが建築の世界に足を踏み入れるきっかけは何だったのでしょうか。

田根 高校生の途中で周りのプレイヤーのレベルの高さを見ていて、この世界で活躍するのは厳しいなと感じ始めたんです。慢性的なケガの影響もありました。挫折というわけではなかったのですが、違う道を探さなきゃならないという感覚を明確に持ったのは高校3年生ですね。自分の高校は大学の付属校だったので、進学する場合、ほとんどの生徒が東京にある同じ校舎に通うことになるんです。僕はその流される感じがどうしても嫌だったんですね。でもサッカーばかりやっていたから大学受験もできないし、浪人してまで行きたい目標校もすぐに見つからなかった。そんなときに大学の系列校が北海道にあることを知ったんです。東京生まれ東京育ちなので、北海道で4年間ゆっくり過ごすのもいいかもしれないと思って調べてみたら建築学科があった。そこには芸術工学部というのがあって、直感的に面白そうだと思ったのがきっかけですね。身もふたもない話なんですけど(笑)。

飛鷹 それは面白い話ですね。僕も僧侶になったきっかけは似たようなものなのでよくわかります。ひょっとしたら人生の重要な決断というものは、必ずしも自己の内面と向き合って頭を絞って考えて決断するものだけではないのかもしれないと思うんです。偶然性とでもいうんでしょうか。思いもよらなかった偶然の集積が自分の人生のつながりとなって浮かび上がることがある。

田根 確かに、僕の人生は偶然の連続で成り立っているような気がします。

飛鷹 偶然というのは意図せずに起こるものですが、視点を変えればある種の見極めをしたと言うこともできますよね。サッカーの道で成功しなさそうだという見極めもそう。先ほど自己表現にあまり興味がないというお話がありましたけども、同時に自分自身に対する過大な幻想も持っていなかったのからこそ、ご自身の人生を先に進めることができたのかもしれませんね。だからこそ建築の道に飛び込むことができた。

田根 たまたま目についた建築の世界に入っていきましたから、当時は建築のけの字もわからなかった。家は住宅で、ビルになると建築かな、くらいの知識しかなかったんです。でも志望理由は書かなきゃならないので、図書室の建築コーナーへ走ってですね(笑)で、ガウディの作品集を見たときに、「なんだ、このすごいのは。これこそ建築というのかもしれない」と思ったのを覚えていますね。

飛鷹 では大学からは建築に没頭したのですか?

田根 そうですね。大学の授業は自分でスケジュールを組めるじゃないですか。みんなは要領よく休んだりしていたんですが、僕は全部のスケジュールを埋めてしまったんですね。すると2年生くらいで単位をほとんど取り終えてしまったんです。本当に建築の設計課題が面白くてしょうがなくて、3年生のころは半年間東京に戻って設計事務所でアルバイトをしていました。その矢先に大学でスウェーデンへの交換留学の話が持ち上がったので、手を挙げたら選ばれたんです。スウェーデンがどこにあるかも知らなかったんですよ(笑)。

飛鷹 どれくらいの期間行かれていたんですか?

田根 丸々1年間ですね。3年生の単位に振り替えられるという話だったんですが、結局駄目だったんです。留学先は設計デザインの学校だったんですが、すぐ横に別の国立の建築学科があって見に行ったらすごく面白そうだったので、勝手に留学先を変えちゃったんです(笑)

飛鷹 そんなこと可能なんですか。

田根 当時は制度が未整備だったっていうのもあります。初めての留学生が勝手に学校を変更しちゃったので後にすごく怒られましたが。

飛鷹 田根さんのそのフットワークの軽さはどこからくるんでしょうか。サッカーを辞める、北海道へ行く、スウェーデンへ行く、留学先を変更する。普通だったらちょっと様子を見ようかな、と考えるところで行動に移せてしまうのはなぜでしょう。そこに田根さんを理解するヒントが隠されているような気がするんですが。もしかしたらサッカーで培った感覚と関係があったりするんじゃないですか。

田根 そうかもしれませんね。サッカーで身につけた状況判断感覚は大きいかもしれません。サッカーは常に「動きながら考える」スポーツ。偶然性に満ちたピッチの上で瞬時の判断の連続が試合を動かしていく。そういう動的環境の中に長く身を置いていたことは関係しているかもしれません。考えてから動くというよりも、動きながら考えるほうが断然得意ですね。

飛鷹 では田根さんにとってサッカーを辞めるというのも「パスをする」という判断だったのかもしれないし、北海道っていうボールが来たから「蹴る」というアクションにつながったのかもしれない。

田根 結果論と言ってしまえばそれまでですけど、偶然性をコントロールし、偶然何かが起こる場所に居合わせる。そういうあらゆるつながりが今の自分を作ってくれているんだと思います。

03
CHAPTER
よい出会いは、それを出会いだと感じる心の持ちようによって生まれる

飛鷹 建築家としての大きな転機はやはりエストニア国立博物館の建築コンペを勝ち取ったことだと思うのですが、どのような経緯でコンペに参加することになったのですか。

田根 大学を卒業した後に、デンマークのロイヤルアカデミーに研究員として行き、その後ロンドンで働くことになったのですが、そのロンドンで友人に紹介された当時のパートナーと仲良くなったんです。展覧会を見に行ったり、ご飯を食べたりする中で意気投合して、何か一緒にやろうという話になり、何かコンペがないかと探したときに、すぐ参加できる一番大きなコンペがエストニア国立博物館のものだったんですね。働きながら夜な夜な集まって、案を提出したらいきなり勝ってしまったという。まあ、まぐれですね(笑)。普通はそんなことにはなりませんから。

飛鷹 コンペでの戦略は何でしたか。

田根 戦略というほどではないんですが、勝因ははっきりしていて、それは、コンペのために与えられた敷地がありながらも、それをはみ出した建築を提案したことです。敷地の傍らに古い軍用滑走路を見つけたんですね。で、これを使わない手はないだろうと直感的に思いました。ルール破りなんですが、意味のあるはみ出し方であれば、もしかしたらチャンスにつながるかもしれないと感じたんです。結果、エストニアの文化大臣から言われたのは、「自分たちに必要だったのは“民族の記憶を継承するような建築”かつ“モニュメンタルなランドマーク”だった。だからこの案を採用したんだよ」ということでした。

飛鷹 エストニアの歴史を振り返ってみると確かに、ソ連から独立したという部分をエストニア社会がどう考えていくか、という部分は大きかったのかもしれませんね。

田根 はい。まさにその通りで、独立から10数年しか経っておらず、国民の4分の1はロシア人という状況でした。彼らは、自分たちの歴史を振り返る上で、ソ連による占領時代を、占領時代ではなくソ連時代と捉えて歴史を組み替えていこうとしていたんですね。軍用滑走路を国立博物館に利用しようという僕らの提案が、エストニア国立博物館を大地に刻まれたエストニアのアイデンティティにしたいという彼らのビジョンに合致したんです。

飛鷹 そこまで読み切っていたんですか?

田根 いや、まったく想定していなかったですね。

飛鷹 なるほど。作品には、作者が意図していなかった大きな意味のようなものを持っている場合がありますよね。逆に作者が作品に教えられる感覚とでもいうんでしょうか。

田根 おっしゃる通りですね。僕らはただ、「全長1.5㎞のこんな建築見たことない、すごいな」という感じで、大地に建築を生み出していくことだけを考えていました。軍用滑走路をナショナルミュージアムにしてしまうことのストーリーを受け入れたエストニア側のビジョンや懐の深さこそが素晴らしかったんだと思います。

飛鷹 お話を聞きながら思うのは、田根さんの人生は、「小さな自分にこだわらなければ、より大きなものが自分を次に連れて行ってくれる」ということの連続ですよね。

田根 そうなんですよね。

飛鷹 運や運命と呼ばれるものにはそういった秘密があるのかもしれない。ただ、うまくいかないと悩んでいる人はたくさんいると思うんですよ。田根さんは、「感じた通りに任せてしまえばいい」と思うのかもしれないですけど、任せられないとか、そもそもそんな風に感じたことがないという人は多いと思うんですね。それは人が抱えてしまっているある種の不調和性だと思うのですが、田根さんからそういう人たちへのアドバイスはありますか。

田根 難しいところですが、あえて言うなら「出会いを大切にできる力があるか」という部分だと思います。人との出会い、場所との出会いを、その瞬間に「大事なものだ」と認識を持ちながら経験、体験することが大事なんじゃないでしょうか。出会いはすべての人に開かれていて、生活の中にも、古い付き合いの中にもあると思いますし、出会いとは、それを出会いだと感じるこちら側の心の持ちようによって生まれるものだと思います。

04
CHAPTER
仕事で最高のパフォーマンスを発揮するためにそれ以外の時間をどう使うか

飛鷹 普段の仕事において時間とどう向き合っていますか。

田根 あまり時間感覚がなく、興味や好奇心をベースに仕事をしています。

飛鷹 時間には、客観的に捉えることのできる「社会的な時間」というものがあると思いますが、そういう尺度は取っ払って生きてきたという感覚ですか。

田根 社会的な時間は共通のルールや約束で成り立っているように思いますが、10時間座っていたから働いたと言えるわけでもないじゃないですか。やはり、効率や量よりも集中力というものが仕事の質を左右するように感じますね。

飛鷹 それはいつくらいから意識し始めましたか?

田根 プロサッカークラブのユース選手だった高校時代に身につけた感覚かもしれないですね。高校サッカーとプロサッカーの時間の使い方は全然違うんです。高校サッカーは毎日長時間練習しますけど、クラブでは練習は2時間だけ。サッカーは90分のスポーツなので、それ以上練習する意味がないと。つまり、それ以外の時間をどうパフォーマンスを出すための準備に使えるかというのがプロ意識だと叩き込まれたんです。

飛鷹 なるほど。高校生のころからそういう感覚を教わっていたと。それは大きいですね。では練習以外の自由な時間もプロとして食べて、プロとして勉強して、プロとして遊ぶという感じですか。

田根 そうです。それは仕事でも同じように感じますね。仕事とオフを分ける感覚はあんまりなくて、遊んでいるときは最大限新しいものを吸収しようとしていますし、休むなら全力で休みます。それは仕事をするときのパフォーマンスを上げることにもつながります。全力で仕事を楽しむためにそれ以外の時間をどう使うか、という感覚ですね。

飛鷹 建築家にとってのパフォーマンスには、工期内に形にするというのも含まれますか?

田根 それもありますが、僕らに建築を依頼するというのは、つまり「要望を超えてほしい」ということなんですよ。造りたいものが明確な場合は、僕らではないところに頼む方が効率はよく、なおかつ安いと思います。頼まれた仕事は、今までに誰も見たことがないような、世代を超えて存在しうる建築を一緒に造っていこうという趣旨だと理解しています。

飛鷹 “アーキテクチャ”という言葉は、もともと原理を表す“アルケー”と、 技術を表す“テクネー”というギリシア語が語源になっているという話を聞いたことがあります。
田根さんがおっしゃるように、建築というのは単なる箱ものではなく、より大いなる存在にタッチするようなものであるべきなのかもしれませんね。

田根 建築には様々な制約がありますが、基本的に自由なものです。音楽に似ていると感じることもあるのですが、どれだけ思想や思考を物質化できるかというのが建築の考え方なのだろうと思います。やはりプロジェクトを手掛けるときは、なぜそのようなことをやるのかという物事の起点となるような衝動を作り上げていく作業から始めますね。

飛鷹 ではご自身についてはいかがですか?本当は自分は何になりたいんだろうとか、私って何だろうみたいな実存的な悩みはありましたか?

田根 20代はずっとそういうことを考えてきましたね。僕は北海道、スウェーデン、ロンドン、パリと、誰も知り合いのいない国や仕事を転々とする生活を送っていたので、なぜここに自分がいるのか、何に向かって生きているのかという問いは常に持ち続けていました。

飛鷹 田根さんは常に反射的な判断に逆らわずに生きてきたわけですが、その判断という偶然性を自身の中で必然化していくことが必要だったのかもしれませんね。自分の中でそれを選んだ理由を再発見していく過程と言ってもいいかもしれない。社会の仕組みに従順に流されていくような場合は、目の前な懊悩(おうのう)からは逃れられますが、たとえ偶然だったとしても自身で決断したことについては、その決断の中に自分自身を見つけていかないといけない。

田根 それってすごく大事なプロセスですよね。人のせいにしたり、言い訳を探したりするのではなく、目の前にある状況を目いっぱい感じることで、そこにあるものを自分のものにしていく。それがあると、人生がぐっと楽しいものになるような気がしますし、そういう世界への態度が自分自身を強くし、充実させ、最終的に最高のパフォーマンスにもつながっていくことになるんです。

PROFILE

田根剛

建築家

1979年東京生まれ。ATELIER TSUYOSHI TANE ARCHITECTSを設立、フランス・パリを拠点に活動。2006年にエストニア国立博物館の国際設計競技に優勝し、10年の歳月をかけて2016年秋に開館。また2012年の新国立競技場基本構想国際デザイン競技では『古墳スタジアム』がファイナリストに選ばれるなど国際的な注目を集める。場所の記憶から建築をつくる「Archaeology of the Future」をコンセプトに、現在ヨーロッパと日本を中心に世界各地で多数のプロジェクトが進行中。主な作品に『エストニア国立博物館』(2016年)、『A House for Oiso』(2015年)、『とらやパリ』(2015年)、『LIGHT is TIME 』(2014年)など。フランス文賞、フランス国外建築賞グランプリ、ミース・ファン・デル・ローエ欧州賞2017ノミネート化庁新進建築家、第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞など多数受賞 。2012年よりコロンビア大学GSAPPで教鞭をとる。

飛鷹全法

高野山高祖院住職

1972年生 東京出身
東京大学法学部卒。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程中退。
専門は比較日本文化論、南方熊楠研究。大学院在学中より、ITベンチャーの立ち上げに参画、ソフトウェアの開発に携わる。
その後、株式会社ジャパンスタイルを設立、国際交流基金等の事業で、中央アジア・中東・カナダ等で津軽三味線や沖縄音楽を始めとする伝統音楽の舞台制作を行う。
2007年より経済産業省主催の海外富裕層誘客事業(ラグジュアリートラベル)の検討委員に就任。
現在、高野山高祖院住職、高野山別格本山三宝院副住職、地域ブランディング協会理事。

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